Beckhams Share Too Much of Harper's Birthday Party…
平和なはずのミュージック・フェスティバルが一転して地獄へ…。
ラスヴェガスで起こったアメリカ史上最悪の無差別銃撃事件とその容疑者

Published on 10/2/2017 (Updated on 10/5)


10月1日米国西部時間午後10時8分にネヴァダ州ラスヴェガスのカントリー・ミュージック・フェスティバルの最中に起こったのが、アメリカ史上最悪の無差別狙撃事件。
10月2日の段階で確認されている死亡者の数は自殺した犯人を含めて59人で、負傷者は527人。2万2000人収容の会場で行われていた ソールドアウト・パフォーマンスの真っ最中に、会場から通りを隔てたところにあるマンダレイ・ベイ・ホテルの32階から発砲したのは、 事件直後にホテルの部屋で自殺を図ったスティーブン・パドロック(64歳)。

以下のビデオは、その発砲が始まった瞬間を捉えたもので、ミュージック・パフォーマンスが行われる中に響いた自動小銃の音、 そしてそれにざわめく人々、パフォーマンスがストップして人々がパニックに陥る様子が描かれています。






事件現場の位置関係は上の図の通りで、容疑者が発砲したのはマンダレイ・ベイ・ホテルの32階。写真下、左のように本来だったら開かない窓を 破壊しての発砲で、窓からミュージック・フェスティバルの会場となったラスヴェガス・ヴィレッジへの直線距離は約518メートル。 ラスヴェガス・ヴィレッジは、大体フットボール・フィールドと同じサイズの会場で、そこに集まった2万2000人のソールドアウト・クラウドに向かって ミリタリー・スタイルの、改造銃2台をスタンドで固定し、無差別に発砲を続けたのが容疑者のスティーブン・パドロック。
事件後にホテルの部屋の中から押収された武器の数は23丁で、彼はそれを10個のバッグに入れてホテル内に持ち込んだとのこと。それ以外にも彼の自宅からは19丁の銃が押収されているけれど、 マシンガンは1分間に100発の銃弾を発砲出来るだけでなく、 そのパワーは防弾チョッキを着用した人間を打ち抜いて、その後ろに居る人間をも射殺出来るほど殺傷力。 遠距離からでも射程距離内である限りは、いとも簡単に大量殺人が行える武器であったという。
殺傷行為は殆どは発砲から最初の9分間に起こっており、スティーブン・パドロックは2台のカメラでホテルの部屋の中と、ホテルの廊下を撮影し、 警察がやってくる様子を監視していたことも明らかになっているのだった。

UPDATE (10月5日):
その後の調べで、スティーブン・パドックはコンサート会場から直線距離で335メートルの距離にある、巨大な2つの航空機用燃料タンクにも 2発の銃弾を発砲していたことが明らかになっていますが、銃弾はタンクを打ち破る破壊力は無かったとのこと。 もし銃弾が燃料タンクの壁を打ち抜いていた場合、大爆発が起こっていたことが見込まれています。

事件後、イスラミック・ステート(ISIS)が犯行声明を出したものの、警察はスティーブン・パドックが一切テロ・グループや ミリタリー・グループと関わった形跡が無いとして、同事件を単独の無差別大量殺人事件として捜査を進めているとのこと。
事件翌日の月曜に多くの人々が話題にしていたのが、9月25日からホテルに滞在していた彼が、翌日の29日から3日間行われていたフェスティバルの 最終日を犯行に選んだのは何故か?、何故カントリー・ミュージック・フェスティバルをターゲットに選んだのか?、財産もあり、 ガールフレンドも居る彼が何故こんな犯行に走るのか?など、 ”何故”という疑問。 スティーブン・パドロックは前述のように64歳。無差別大量殺人事件の容疑者の平均年齢の2倍の年齢。 通常、この手の事件の容疑者は 事件後に自殺を図っても、何等かのマニフェストを自らのコンピューターやソーシャル・メディア上に デジタル・フォームで残す、もしくは発信するものであるけれど、 彼の場合はそんなことをする年齢ではないこともあり、事件の動機を巡る捜査の難航が見込まれているのだった。

UPDATE (10月5日):
その後の調べで、スティーブン・パドックは事件の2か月前にシカゴで行われたミュージック・フェスティバル、”ロラパル―ザ”の際にも 通りを隔てて会場を見下ろすブラック・ストーンホテルに 滞在。この時は今回のマンダレイ・ベイような会場をターゲットにするのに最適な部屋に滞在できなかったことから、犯行を諦めたことが見込まれています。 ちなみにこのシカゴのミュージック・フェスティバルにはマリア・オバマも訪れており、事件が起こったヴェガスのフェスティバルの初日には、 オリンピック水泳のマイケル・フェルプスが夫人と共に訪れていました。





容疑者のスティーブン・パドックは元会計士で、リタイア後はテキサス、フロリダに暮らし、ネヴァダ州には2015年から暮らしているとのこと。 彼の自宅があるのは、ラスヴェガスから車で90分ほどの距離にあるリタイアメント・コミュ二ティで、 そこに移住した際に購入したのが、約4500万円の自宅(写真上、右上)。それ以外にも、もう1軒の家を所有し、現在も不動産投資を行うマルチミリオネア。 ギャンブルと銃を好んだ彼は、 パイロットのライセンスや、ハンティング&フィッシングのライセンスも持ち、 銃は近隣のショップで合法的に購入しているのだった。
彼合法販売されているガジェットを使用して、合法販売されている半自動小銃をマシンガン並みのスピードで撃てるように細工しており、 銃規制に非積極的な共和党議員の中にも、このガジェットの販売を違法にするべきとの声が聞かれています。

とは言ってもスティーブン・パドックには犯罪歴もなければ、精神病を患うなどの病歴も無く、精神錯乱を引き起こすような処方箋薬も一切摂取していないとのこと。 現在はリタイアメント・コミュニティの自宅でガールフレンドの フィリピン系でオーストラリア国籍のメリ―ルー・ダンリー(62歳、写真上左側でポドックと一緒に写っている女性)と2人暮らし。 コニュニティの人々は この事件のニュースに愕然として、涙を流しながらパドックについてコメントをしていたけれど、 パドックがマンダレイ・ベイ・ホテルに メリ―ルーの名前を使ってチェックインしたことから、事件直後は彼女も重要参考人と見なされていたという。 しかしながら、目下 彼女がフィリピンに旅行中であることが判明し、警察は程なく彼女を容疑者のリストから外したものの、 スティーブン・パドロックが犯行直前にフィリピンに約1100万円を振り込んだ記録があること、加えてその後の調べで 彼女が2人の男性と重婚していたことが明らかになったことから、重要参考人として事情聴取を行うとしているのだった。

UPDATE (10月5日):
10月4日に帰国しFBIの事情聴取を受けたメリ―ルー・ダンリーは、フィリピン行きのチケットはスティーブン・パドックに買い与えられ、旅行に行くように促されたこと、 現地で送金を受け取り、彼が別れたがっていると思っていたことを説明し、事件への関与を否定。 その一方で、彼が犯行前日に女性と一緒に居る様子が目撃されており、その女性が事件の準備を手伝った疑いが持たれています。

事件後にメディアからインタビューを受けたフロリダに住む容疑者の弟、エリック・パドックは驚きを隠せず、 最後にスティーブンとコミュニケートしたのが、フロリダをハリケ―ン、アルマが襲った直後に エリックの家の傍に住む母親の様子を訪ねてきた時であることや、 かつてはフロリダに暮らしていたスティーブンがネヴァダに移住する際に 彼が引っ越しを手伝った時には、 スティーブンは銃を所持していても、半自動小銃は持っていなかったこと等を説明しており、 昨今は家族との交信が徐々に途絶えつつあることも同時に語っているのだった。

それよりもメディアが注目したのは彼の父親、ベンジャミン・パドックが(写真上、右下)、1960年代に銀行強盗の罪で刑務所入りし、その後脱獄したことから、 FBIの指名手配リストに載っていたこと。 父親はその後1978年にオレゴン州で、ビンゴ・ラウンジを経営しているところを逮捕されており、 FBIはその指名手配書で、ベンジャミン・パドックについて「精神異常で、自殺願望がある」と記していたのだった。




同事件は、アメリカで2017年に起こった7件目の無差別銃撃事件で、 これまでのアメリカ史上最悪の無差別大量殺人事件となっていた オーランドのパルス・ナイトクラブでの49人の死者と約50人の負傷者を 大きく上回る悲惨な事件。
現場に居た人々の事件当時のリアクションは、銃声を花火と勘違いした人も居れば、 銃撃が行われているのは分かっても、何処から発砲しているか分からなかった人々が居る一方で、 直ぐにマンダレイ・ベイ・ホテルからの発砲であることに気付いた人々も居たけれど、 そんな人でも発砲の火花が出ていた窓が15〜20階程度と思っていた人が多く、まさかそれが32階とは思えなかったとのこと。
マンダレイ・ベイからの発砲を察知した人々は、逃げたり、物の陰に隠れるなどして 無事、もしくは軽症で済むケースが多かったけれど、パニックで銃弾が何処から来ているかが分からなかった人々は、 地面に伏せて銃弾の犠牲になっていたとのこと。 ツアー・バスの下に子供と一緒に潜って難を逃れた男性は、目の前の地面を銃弾が打ち抜くラインが走り、 顔に泥が降りかかった様子を説明しているのだった。

無事であった人々、比較的軽症であった人々の多くは、自分を助けてくれた人々の存在に感謝するコメントをしており、 撃たれた友達を引きずって逃げるのを助けてくれた人に感謝する人も居れば、自分をカバーして撃たれた見ず知らずの人に感謝する人も居た一方で、 事件当時にラスヴェガス・ストリップを車で通りかかって、怪我人を病院までピストン輸送し続けた一般のドライバーなど、 サバイバルのために見ず知らずの人々同士が 助け合っていたのが当時の事件現場。

UPDATE (10月5日):
今回の事件で不幸中の幸いと言えたのは、会場に訪れた2万2000人の観客の中に、現地の警察官、救急隊員、医師、看護師等が多数含まれ、 彼らが勤務時間外にも関わらず、人々の救出と怪我の応急処置を現地で行ったことが指摘されています。
その一方で、ヴェガスの警察は銃撃がスタートした12分後には犯人の滞在するスウィート・ルームに到着していますが、 部屋に押し入るまで1時間その場に待機したことが伝えられています。

同じ頃、近隣のMGMホテルでは、マジシャンのデヴィッド・カパーフィールドのショーが銃声で中断され、 観客は、安全のために1時間も会場内で足止めを食うことになっていたのだった。 ヴェガスでは、事件翌日の月曜は全てのパフォーマンスがキャンセルされていたけれど、その多くが 翌日からパフォーマンスを再開して、”ヴァイオレンスに屈しない街、ヴェガス” をアピールするとのこと。
その事件の翌日の月曜には、500人以上の負傷者のために献血をする人々が大行列を作り、 病院が怪我人の対応に追われているため、中には8時間も並んで献血をする人々まで見られたけれど、 そんな行列する人々に水やピザを差し入れる人々が現れるなど、観光都市であるラスヴェガスのコミュニティ全体が 事件から一日も早く立ち直ろうとしているのが現在状況。

そのラスヴェガスと言えば、ありとあらゆるところに防犯カメラが設置される 全米で最も警備が行き届いた街。 事件後のSWATチームの対応の速さも、今回大きく評価されていたけれど それでも強力な武器で遠距離からの銃撃された場合には成す術が無いことは、警備の専門家も認めざるを得ない状況。
これを受けて、ラスヴェガスのパーティー・メッカとして知られるウィン・ホテルは空港スタイルの金属探知機を入口に取り付けたことがレポートされています。

UPDATE (10月5日):
これだけの被害を出しながら、現地ラスヴェガス郊外の狙撃練習場では銃愛好家が「銃規制をするべきではない」という意見を益々強くしているとのこと。 事件直後から、銃製造メーカーの株価が 銃規制のムードが高まることにより、愛好家が規制前に買い漁りをすることを見込んで急上昇。これは 大量銃撃事件が起こる度に見られるアメリカの投資家の災難に乗じた冷血なお金儲けの手段。
ラスヴェガスでは毎年大々的な銃の展示会が行われ、会場ではパワフルな銃の即売も行われていますが、 この事件の後でも ヴェガスの街は銃の展示会の開催を歓迎する意向を示しています。


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