People Magazine's Sexiest Man Alive 2016
Dwayne 'The Rock' Johnson!!

ピープル誌が選ぶ、毎年恒例の「セクシエスト・マン・アライブ」
2016年はドゥエイン・ジョンソン!

彼が選ばれたアメリカの背景と、過去30年の「セクシエスト・マン・アライブ」の顔ぶれ

Published on 11/15/2016



今年は11月15日に発表されたのが、毎年恒例のピープル・マガジンが選ぶ「セクシエスト・マン・アライブ」。
同企画がスタートして31年目に当る 2016年の「セクシエスト・マン・アライブ」に選ばれたのは ドゥエイン・ジョンソン。

元プロレスラーからアクション&コメディ俳優に転身したドゥエイン・ジョンソンは、フォーブス誌が毎年発表する俳優の長者番付で、 2016年度に6,450万ドル(70.3億円)を稼ぎ出し、見事No.1 に輝くほどのメガ・サクセスを収めている存在。 その彼が今年の”セクシエスト・マン・アライブ”に選ばれるという噂は、既にハリウッドに流れていたため このチョイスは織り込み済みという印象が無きにしもあらずでしたが、 彼が選ばれたのは時代を反映したチョイス。

ドゥエイン・ジョンソンをフューチャーしたピープル誌のカバーには、「Sweet, Smart Sculpted / スウィート、スマート、スカルプテッド」という サブタイトルが見られましたが、196p、111キロ、今も現役のレスラー並みにトレーニングを続ける彼には、銅像のようなスカルプテッドという表現はピッタリ。 それと同時に、温厚なジェントルマンで、ユーモアのセンスに溢れた彼の人間性はハリウッドでも高く評価されているもの。
でもルックス的なファニー・フェイスの彼が2016年に「セクシエスト・マン・アライブ」に選ばれた背景としてピープル誌、及び多くのメディアが指摘するのは、 これまで続いてきた「セクシエスト・マン・アライブ」の傾向を変えて、フレッシュさを加えるため。
過去2年間の「セクシエスト・マン・アライブ」と言えば、2015年がデヴィッド・ベッカム、2014年がクリス・ヘムズワースで、 どちらもブロンド、白人、絵に描いたようなハンサム。 白人以外で過去に「セクシエスト・マン・アライブ」に選ばれたのはデンゼル・ワシントンのみで、 今年のオスカーの俳優部門同様、白人だらけだったのが「セクシエスト・マン・アライブ」。 その白人に偏ったチョイスについては、2015年の段階で既に多くの批判が聞かれていましたが、 この時は、今まで「セクシエスト・マン・アライブ」に選ばれなかったのが不思議であったデヴィッド・ベッカムが選ばれたことで、 誰も文句が言えなかったのが実情。
でも2016年に関してはソーシャル・メディアなどからのバックラッシュを避けるためにも、白人以外を選出する必要があったというのがその背景で、 ドゥエイン・ジョンソン以外の有力候補が、メガ人気ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」のキット・ハリソン、 イギリス人俳優のベネディクト・カンバーバッチだったことを考慮すると、 2016年に関してはドゥエイン・ジョンソンの人気やサクセスもさることながら、彼がコケージャン(白人)でないことが選出のポイントになっていたと言えそうです。



また、「セクシエスト・マン・アライブ」に選ばれる重要な要因となるのが女性関係や家庭&子供においてハッピーであること。
古くは2002年に選ばれたベン・アフレックは当時フィアンセだったジェニファー・ロペスの存在が、 それぞれ 彼らが「セクシエスト・マン・アライブ」に選ばれたことに大きく寄与していたのは誰もが認めるところ。 2010年に選ばれたライアン・レイノルズの場合は、当時妻だったスカーレット・ジョハンソンの存在、 2011年のブラッドリー・クーパーはジェニファー・アニストン、レネー・ゼルウェガーといったAリストの女性セレブリティとの立て続けのロマンスがプラス要因になっていたのは 当時の記事でも指摘された通り。 2013年に選ばれたアダム・レヴィーンはヴィクトリアズ・シークレットのモデル ビハーティ・プリンスローとの婚約のニュースがやはりプラスになり、2014年のクリス・ヘムズワースにしても、 昨年2015年のデヴィッド・ベッカムにしても、ともに愛妻家で、子供も設けて美しい家族を築いていることで知られる存在。
ドゥエイン・ジョンソンにしても、今年父親になったばかりで、赤ん坊をあやす彼のビデオは、 ソーシャル・メディア上でヴァイラルになっており、理想的な夫像、父親像がここ数年のセクシエスト・マン・アライブの条件として非常に大切なものになってきているのは周知の事実。
すなわち、家庭を顧みないプレイボーイよりも、「妻と子供を愛し、一緒の時間を大切にする男性こそがセクシー」という イメージの確立に一役買っているのがセクシエスト・マン・アライブの人選。 家庭と家族思いの男性がセクシーという概念は、女性の収入が一家を支える家庭が増え続ける現在のアメリカを反映したものになっています。

ところで、ピープル誌が「セクシエスト・マン・アライブ」の特集をスタートするきっかけになったのは、全くのアクシデント。
1985年にメル・ギブソンとの独占インタビューを獲得したピープル誌であるけれど、そのキャッチーなタイトルが無かったために、 苦し紛れにつけたのが「セクシエスト・マン・アライブ」というタイトル。
これを人々がピープル誌が選んだ栄誉のように受け取ったことから、毎年「セクシエスト・マン・アライブ」を選出するに至りましたが、 翌年1986年、その次の1987年は、人選がパッとしなかったこともあり、殆ど注目を浴びなかったのがこの企画。 ところが1988年に、当時、アメリカのプリンス的存在だったジョン・F・ケネディ・ジュニアを選んだ途端、 再び大脚光を浴びるようになったのがこの特集。
それ以降は的を得た人選で、タイミング良くライジング・スター時代のブラッド・ピットや、ジョージ・クルーニーを選出。 その後2000年代の半ばから、再び同企画に新鮮味が無くなったことが指摘されましたが、 ここ数年は 「セクシエスト・マン・アライブ」以外にも様々なアングルで、様々な分野の男性をフィーチャーして話題性を高めています。
今回は、英国王室のプリンス・ヘンリーを”セクシエスト・ロイヤル”に選んだり、 初の”シャツレス・セルフィー”(上半身裸のセルフィー)セクションを設けて、話題を煽っています。



以下は、1985年に 1人目の「セクシエスト・マン・アライブ」に選ばれたメル・ギブソンから、2015年のデヴィッド・ベッカムまで、 過去30年の「セクシエスト・マン・アライブ」の歴史をピープル・マガジンのカバーと共にご紹介します。



写真上、左より
1985年: メル・ギブソン。苦し紛れに付けられたタイトルであったけれど、当時「リーサル・ウェポン」シリーズで大人気だった彼だけに「セクシエスト・マン・アライブ」の 肩書きには、周囲から文句が出ることは無かったのが実情。

1986年: マーク・ハーモン。今も長寿人気ドラマ「NCIS]で活躍する彼であるけれど、当時人気の病院を舞台にしたドラマ「セント・エルスウェア」で演じたドクター役が 選出の決め手。

1987年: ハリー・ハムリン。当時の人気ドラマ、「L.A.ロウ」の主演スター。

1988年: ジョン・F・ケネディ・ジュニア。長身、ハンサム、ケネディという人々が注目する要素が揃っいた彼は、当時のアメリカのプリンス的存在。



写真上、左より
1989年: ショーン・コネリー。1988に映画「アンタッチャブル」でオスカーの助演男優賞受賞し、この年は「インディアナ・ジョーンズ」に ハリソン・フォードの父親役で出演。人気が再燃していた頃。

1990年: トム・クルーズ。この年に公開された「デイズ・オブ・サンダー」の共演で、彼の2人目の妻となったニコル・キッドマンとのロマンスが噂されていた頃。

1991年: パトリック・スウェイジー。2009年にガンでこの世を去った彼が、「ダーティー・ダンシング」、「ゴースト」の主演で、女性ファンの人気が高かった時代。

1992年: ニック・ノルティ。当時バーバラ・ストライザンドが監督した「プリンス・オブ・タイド」の出演で、女性の間での人気が高まった頃。



写真上、左より
1993年: ピープル誌の歴史上、唯一この年だけが「セクシエスト・カップル・アライブ」。選ばれたのは当時結婚していたリチャード・ギア&シンディ・クロフォード。

1995年: ブラッド・ピット。 1994年は「該当者なし」で同特集をキャンセルしたピープル誌が選んだのが、当時、今のロバート・パティンソンのような熱狂的な人気を 獲得していたブラッド・ピット。この時期の、彼は私生活ではグイネス・パートロとオープンに交際中。

1996年: デンゼル・ワシントン。89年に「グローリー」でオスカーの助演男優賞を受賞して以来、「ペリカン文書」、「マルコムX」、トム・ハンクスがオスカーを受賞した 「フィラデルフィア」等、着実にキャリアと人気、正統派のイメージを築いてきたのが選出のポイントに。

1997年: ジョージ・クルーニー。当時のNo.1視聴率番組「ER」の出演と共に、映画界への進出をスタートしていたのがこの頃の彼。



写真上、左より
1998年: ハリソン・フォード。この年以降、あまり映画のキャリアはパッとしないけれど、1997年に公開された「エア・フォース・ワン」まではメガ・ヒットの連続であったため、 機が熟しての選出という印象。

1999年: リチャード・ギア。1993年に「セクシエスト・カップル」として選出されたのも含めればこれが2回目の選出。この年、「プリティ・ウーマン」以来、初めて 「ランナウェイ・ブライド」でジュリア・ロバーツとの再共演が実現した話題性は、選出の大きな決め手の1つ。

2000年: ブラッド・ピット。 1994年に続く2度目の選出であるけれど、この時期は98年公開の「ミート・ジョー・ブラック」、99年の「ファイト・クラブ」、2000年の「スナッチ」 が全て興行成績が悪くキャリア・スランプだった時期。でも当時結婚していた彼とジェニファー・アニストンは常にタブロイド誌が注目するカップルでした 。

2001年: ピアース・ブロスナン。当時ジェームス・ボンド役でセクシーなイメージが定着していただけに、納得のチョイス。






写真上、左より
2002年: ベン・アフレック。当時ジェニファー・ロペスと婚約中だったことが選出の大きなポイント。後に2人は挙式3日前にウェディングをキャンセルし、その後ベンがジェニファー・ガーナーと結婚したのは周知の通り。

2003年: ジョニー・デップ。「パイレーツ・オブ・カリビアン」 シリーズの第1作目が封切られて、メガヒットになったのがこの年。

2004年: ジュード・ロウ。 この年、「アルフィー」、「スカイ・キャプテン」等6本の出演映画が公開されて、とにかく売れっ子だったのが彼。

2005年: マシュー・マコナヘイ。キャリア的には華々しいところが無かったこの時期の彼であるけれど、頻繁にビーチでスナップされていたボディが選出の決め手に。



写真上、左より
2006年: ジョージ・クルーニー。97年に次いで2度目の選出。この年、彼は映画「シリアーナ」で オスカーの助演男優賞を獲得。

2007年: ヒュー・ジャックマン。「Xメン」シリーズのウルヴァリンや、ミュージカルで歌やダンスもこなす多才ぶりと鍛えたボディが選出のポイントに。

2008年: マット・デイモン。ジョージ・クルーニーが過去に何度も「セクシエスト・マン・アライブ」に選出させたがっていたのが彼。でもクルー二ーのサポート無しでも、 「ボーン」・シリーズの大ヒットで、この年は文句なしの選出。

2009年: ジョニー・デップ。彼にとって2度目の選出の要因は、ボックスオフィスの興行成績が高いことに加えて、幅広い人気。



写真上、左より
2010年: ライアン・レイノルズ。ボーイッシュな顔立ちと、鍛え抜かれたボディもさることながら、スカーレット・ジョハンソンのハートを射止めたポイントが高かった選出。

2011年: ブラッドリー・クーパー。「ハングオーバー2」の人気が、選出に貢献したものの、この当時、数多くの映画に出演してハリウッドの ライジング・スターとして注目されていたライアン・ゴスリングがセクシエスト・マン・アライブに選ばれるべきだったという反論が巻き起こって、 物議を醸したのがこの年。

2012年: チャニング・テイタム。この年、「ザ・ヴォウ(邦題:君への誓い)」、「21ジャンプ・ストリート」、「マジック・マイク」という3本の主演映画が 公開され、すっかりハリウッドの若手スターとしての地位を確立。この時は妻で女優のジェナ・ディーワン・テイタムが妊娠中で、 もう直ぐ一児の父親になるという段階での選出。

2013年: アダム・レヴィーン。ロッカーが「セクシエスト・マン・アライブ」となったのはこの時が初めてで、 俳優以外が選ばれたのも、1988年のジョン・F・ケネディ・ジュニア以来のこと。彼をホットな存在にしていたのは、 リアリティTV、「Voice / ヴォイス」のコーチとしての活躍ぶり。



写真上、左より
2014年: クリス・ヘムズワース。オーストラリア人の彼はブロンド&ブルー・アイズの絵に描いたような美男。でもそのセクシーさをアピールしたのが 彼がF1ドライバーに扮した映画「ラッシュ」。鍛えられた日に焼けたボディも選考のプラス要素になったのは言うまでもないまでも無いところ。

2015年: デヴィッド・ベッカム。輝かしサッカーのキャリアを終えた後も、コマーシャル出演、TV出演などで稼ぎ続けているデヴィッド・ベッカム。 妻ヴィクトリアとの間に4人の子供を設け、ファミリー・マンとしても知られる彼は、同時にファッショニスタでもあり、 彼のアウトフィットやグルーミング、そしてタトゥーは常に注目の的。もっと早く選ばれても良かったと言われるのが彼。


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