May the Force Be With Carrie Fisher…
世界中の「スターウォーズ」ファンに愛された
プリンセス・レイア=キャリー・フィッシャーの早すぎる死、そのサクセスと葛藤

Published on 12/27/2016



ジョージ・マイケルの突然死が世界中に衝撃を与えた2日後の2016年12月27日、午前8時55分に息を引き取ったのが、 「スター・ウォーズ」のプリンセス・レイアとして世界中のファンに愛されたキャリー・フィッシャー(60歳)。
キャリー・フィッシャーは12月23日金曜日にロンドンからロサンジェルスに向かうフライトの中で、着陸前15分の時点で 10分間の心肺停止状態となり、着陸と同時にロサンジェルスのメディカル・センターに運び込まれたことが報じられたばかり。
その後、「スターウォーズ」の共演者で長年の友人のマーク・ハミルが以下のツイートを行ったほか、 ハリソン・フォードを含む彼女のかつての共演者たちから 彼女の容態を気遣うツイートやメッセージが寄せられていたのに加えて、 ツイッター上では、「スターウォーズ」のあまりに有名なセリフ、 ”May the Fourth be with you” をアレンジした”#May the Fourth be with her”がトレンディングとなり、 世界中の「スターウォーズ」ファンが彼女の回復を祈ったのがクリスマス・ウィークエンド。

一時は容態の安定が伝えられたものの、キャリー・フィッシャーはフライト中の心肺停止状態以来、 一度も意識を取り戻すことなく、12月27日に家族に囲まれて息を引き取ったことが報じられたのだった。




プリンセス・レイアの誕生



キャリー・フィッシャーは、1956年10月21日、ビバリー・ヒルズ生まれ。 父親はシンガーのエディ・フィッシャー、母親は女優のデビー・レイノルズで、 ハリウッドのサラブレッドとして誕生したのだった。
でも両親は彼女が3歳の1959年に離婚。同じ年にエディ・フィッシャーは エリザベス・テーラーと結婚し、当時このラブ・トライアングルは ジェニファー・アニストンと離婚したブラッド・ピットが アンジェリーナ・ジョリーと交際を始めたのと同様の規模のスキャンダルとして、当時のハリウッドで大きく報じられていたのだった。
その後エリザベス・テーラーは、リチャード・バートンと結婚するためにエディ・フィッシャーと離婚しているものの、 キャリーは父親不在で成長。 1997年、17歳にしてウォーレン・ビーティと共演した「シャンプー」で女優としてデビュー。
でも彼女を有名にしたと同時に、世界中のファンを獲得することになったのが、 1977年、彼女が19歳の時に封切られた「スターウォーズ」。今では 「エピソードW:New Hope」として知られるのがこの作品で、 2016年12月16日に封切られた「ローグ・ワン:スターウォーズ・ストーリー」は同作品に繋がるストーリー。
その後、1980年に封切られた「エピソードX:The Enpire Strikes Back (帝国の逆襲)」、 1983年に封切られた「エピソードY:Return of the Jedi (ジェダイの復讐)」も世界中でメガ・ヒットを記録し、 キャリー・フィッシャーはハリウッド史上、最もサクセスフルなムービー・フランチャイズのヒロインとして、 世界中のファンから愛されることになったのだった。



ドラッグ、そして作家としてのキャリア



プリンセス・レイアのキャラクターがファンに大きくアピールした理由は、彼女が いつも助けられてばかりいる か弱いプリンセスではなく、 戦うプリンセス、男性キャラクターと同等に渡り合うプリンセスを演じていたためで、 特に「エピソードY:Return of the Jedi (ジェダイの復讐)」で、メタルのビキニを着用して(写真上左)、 悪玉ジャバの膝元に鎖で繋がれてた彼女が、その鎖でジャバを絞め殺すシーンは、 男性ファンには25歳に成長した大人の女性としてのプリンセスをアピールし、 女性ファンには強いヒロイン像を大きくアピール。 多くの「スターウォーズ」ファンが プリンセス・レイアといって真っ先に思い出すのが、 エピソード4の白いドレスとロングヘアを顔の両側で丸く纏めたヘア、そしてこのゴールドのビキニ姿なのだった。

しかしながら、そんなプリンセス・レイアのあまりに強烈なイメージが災いして、 それが女優としてのキャリー・フィッシャーにはディスアドバンテージにもなっており、 彼女は「これから何をしようと、私は一生”プリンセス・レイア”」と発言していたことさえあるほど。
そんな彼女の「スターウォーズ」以外の出演映画で知られるのは、 「ブルース・ブラザース」(1980年公開)、ウッディ・アレン監督作品「Hannah and Her Sisters (邦題:ハンナとその姉妹)」、 そしてメグ・ライアンの出世作であり、1989年に公開された「ホエン・ハリー・メット・サリー(邦題:恋人たちの予感)」で、 同作品の中ではビリー・クリスタル&メグ・ライアン扮するメイン・キャラクターの友人カップルをブルーノ・カーヴィーと共に演じたのだった。(写真上右)
その一方で、若くして成功を収めた多くのハリウッド・スター同様に、キャリー・フィッシャーが苦しんだのが ドラッグやアルコールとの闘い。彼女が最初にコカイン手を出したのは、「帝国の逆襲」を撮影してた時期で、 そのコカインとの闘いはその後20年以上続くことになるのだった。
彼女はそんなドラッグ中毒としての自らの状況と、母親であり女優のデビー・レイノルズとの関係を、やがて赤裸々に執筆するようになり、作家としてのキャリアもスタート。 その著書「ポストカード・フロム・ジ・エッジ(ハリウッドにくちづけ)」は、彼女の自叙伝的なストーリーで、 1990年にメリル・ストリープ、シャーリー・マクレーン主演で 映画されているのだった。

キャリー・フィッシャーの作家としての最新著書であり、最後の作品となったのは、2016年11月に出版された「」Princess Diarist / プリンセス・ダイアリスト」。 彼女はこの中で、1977年の「スターウォーズ」撮影中の19歳の時に、当時33歳で既婚のハリソン・フォードと交際していたことを、 初めて公に認めているのだった。





オープンに戦った躁うつ病



私生活では、1977年に出会ったシンガーのポール・サイモン(写真上左、左側)と6年間の交際後、1983年に結婚。 1年後の1984年に離婚。
父親不在で育ったキャリーであるものの、エディ・フィッシャーが2010年に死去する数年前から彼とコンタクトを取り、 親子関係を復活させているのだった。
彼女は90年代に入ると、様々なハリウッド映画のセリフの手直しを担当するようになり、パートナーのブライアン・ロードとの間には 1人娘のビリー・ロード(写真右、左側)を1992年に出産。母親のデビー・レイノルズ(写真右中央)と3代に渡る女優家族になっているのだった。
2000年を過ぎる頃にはハリウッドのトップ・スクリプト(脚本)・ドクターとして活躍する傍ら、 TV版の「セックス・アンド・ザ・シティ」に本人役で登場するなど、 作家、脚本家、女優として活躍を続けた一方で、2000年を前後に躁うつ病であることを公に認め、 痛み止めを含む処方箋薬を摂取しながらの闘病についてオープンに語るようになるのだった。
「ドラッグをやるとノーマルになれる」といった彼女のコメントは人々にショックを与えたものの、 彼女自身はそんな躁うつ病との闘いをジョークにするなど、決してシリアスに捉え過ぎない姿勢を貫いていたのだった。
しかしながらうつ病との闘いで体重を増やしてしまったキャリーは 2011年にはダイエット・ビジネスとして有名なジェニー・クレイグのスポークス・ウーマンとして広告に出演。 減量を成功させて、人々に健康になった彼女をアピールしていたのだった。


そんな彼女が、文句なしのハリウッドのAリストにカムバックしたのは、2015年に公開された「スターウォーズ:エピソードZ:フォースの覚醒」。 ディズニーがルーカス・フィルムを買収し、ディズニー製作の第一作目でオリジナル・キャストがカムバックするというニュースは、「スターウォーズ」ファンを狂喜させたもの。
38年ぶりに 「スターウォーズ」にカムバックしたキャリー・フィッシャーを含むオリジナル・キャストを見て、世界中のファンが鳥肌が立つ思いをしたのが2015年の「フォースの覚醒」公開時のこと。
そして「ローグ・ワン」でも彼女の若々しい姿が登場し、その唯一のセリフ「Hope」を様々な思いで受け止めたファンが多かったのは アメリカの大統領選挙結果を受けてのことと言われているのだった。

キャリー・フィッシャーは、「スターウォーズ」の次作、”エピソード[” の撮影を死去の前に終えており、 映画の中ではプリンセスから将軍となったレイアの姿を ファンは次作で観ることが出来るものの、 その突然の死の衝撃で、「スターウォーズ」ファンのみならず、世界中の多くの人々が 以下のマーク・ハミルのツイートと全く同じ気持ちを味わっていることは 否定できない事実なのだった。


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