Jan.22 〜 Jan. 28   2018

”Politically Incorrect English ”
TV「フレンズ」で英語を学ぶ落とし穴


今週のアメリカでは、火曜日にオスカー・ノミネーションが発表になったけれど、 その際に最も話題になったのが、ゴールデン・グローブ賞等のコメディ&ミュージカル部門で主演男優賞を獲得してきた ジェームス・フランコがノミネートを逃したこと。 これは現在彼が性的不適切行為で5人の女性から告発されているためという見方が有力であたけれど、 さらに木曜には昨年の主演男優賞の受賞者で、受賞時に2人の女性からやはり性的不適切行為で告発されていたケイシー・アフレックが 今年の受賞式のプレゼンターを辞退。通常前年の主演男優賞受賞者がその年の主演女優賞受賞者のプレゼンターを務めるものだけれど、 彼がこれを辞退したのも #MeToo ムーブメントを受けた風当たりの強さを危惧したものと言われるのだった。
でも、ケイシー・アフレックに対する #MeToo ムーブメントは既に昨年の彼の受賞段階から起こっていたとのことで、 昨年の彼にオスカーを手渡した2年前の主演女優賞受賞者、ブリー・ラーソンはその受賞作品「ザ・ルーム」の中で、 監禁され性的虐待を強いられ続けた女性を演じたとあって、女性被害者を救うアクティビストの1人。 それもあって、彼女はケイシー・アフレックの受賞には冷めたリアクションを示していたとのことで、 彼女がプレゼンターを務めた後のプレス・カンファレンスでも、はっきりと自分がステージでプレゼンターとして見せたアクションが、 自分のケイシー・アフレックに対する意思表示であるとコメントしていたのだった。




さらに今週はアメリカ女子体操のチーム・ドクターであり、スポーツで名門のミシガン大学女子体操チームのドクターでもあった ラリー・ナッサー(写真上左)が過去20年に渡ってティーンエイジャーの選手たちに行ってきた性的虐待行為の裁判で、175年の禁固刑の判決が下ったけれど、 この裁判は被害者156人が全員証言台に立つという前代未聞の公判。
週の後半にはその責任追及の矛先が、被害者の訴えを無視、もしくは握りつぶしただけでなく、 選手に圧力を掛けて口止めを行った疑いがもたれるアメリカ女子体操協会とミシガン大学にも及び、 ミシガン大学はその学長が辞任。 アメリカ体操協会もその重役会メンバーに対して アメリカ・オリンピック委員会が全員辞任を要求するなど、 ようやくその裁きが 事態を容認したシステム本体に向けられるようになってきたのだった。

そうかと思えば、木曜にはラスヴェガスのホテル王、ウィン・ホテルを経営するスティーブ・ウィン(写真上右)の長年に渡るセクハラ行為を ウォールストリート・ジャーナルが報じ、彼がネーリストにセックスを強要し、約8億円の慰謝料を支払っていたこと、 約150人の従業員、元従業員が彼に対するセクハラ被害を訴えている様子がレポートされているのだった。 そのセクハラ行為は、これまで女性達の告発によって地位を追われた多くの男性同様、 いきなり被害者女性の目の前で裸になって マスターベーションを始めたり、オーラルセックスを含むセックスの強要など、 判でついたように類似したパターンになっていたのだった。

ちなみにスティーブ・ウィンは、トランプ大統領と個人的に親しく、大統領が共和党の資金集めのコミッティのトップに任命していた人物。 既に約9億円を共和党の政治家のために寄付していたけれど、彼はこのスキャンダルを受けてこのポジションを辞任。 果たして共和党の議員が彼からの献金を返す、もしくはチャリティに寄付するかが現在見守られているのだった。




男性のセクハラ・パターンが類似するのは、彼らが観ているポルノの影響という指摘もあるけれど、 実際、ハリウッド映画等のエンターテイメントは、異性観、人種観などに大きな影響を与えるのは言うまでもないこと。
アメリカ社会で2000年以降、急速にゲイ・カルチャーに対する理解が深まったのも、ゲイであることをオープンにしたセレブリティが 様々なエンターテイメントに起用さる一方で、カミングアウトするセレブリティが増え、 ゲイ・ピープルやゲイ・カルチャーを親しみ易い存在と感じさせるエンターテイメントが多数登場したため。 これは人種問題についても同様で、現在と1960年代では アフリカ系アメリカ人の映画やTVドラマにおける描かれ方が全く異なるのは誰もが気付くところなのだった。
大体その人種の名称も、60年代は黒人という意味の”ブラック”、もしくは”二グロ”という表現が一般的で、 アフリカ系アメリカ人(African American)という政治的に適切な表現が一般に普及したのは1990年代のこと。

すなわち、今と昔では人種観、異性観、ゲイ・カルチャーに対する意識も全く異なっている訳で、 現代社会で 映画「風と共に去りぬ」が名作扱いされなくなったのも、そのあまりに酷い人種差別主義が「見るに耐えない」というリアクションを招くためなのだった。
同様のことは、1960年代にショーン・コネリーが主演した007シリーズにも言えることで、 ミレニアル世代から見た 彼が演じるジェームス・ボンド像は、セクシスト、レイシストであるだけでなく、レイピストのカテゴリーにも入るそうで、 彼らの祖父の世代が彼をアイドライズ(アイドル化)したのとは全く異なるリアクション。 中には彼がホモフォビック(ゲイ恐怖症=ゲイを毛嫌いする人物)というリアクションも見られたのだった。

ちなみにミレニアルに対するショーン・コネリー主演の007シリーズの意見調査が行われたのは、 同世代の「フレンズ」に対するリアクションが極めて悪い結果をネットフリックスが発表したのを受けてのこと。
何故ミレニアル世代にフレンズの受けが悪いかと言えば、取り敢えず舞台が人種の坩堝、ニューヨークであるのに、 異人種の友達が居ない、台詞に人種差別、性差別、ゲイ差別、年齢差別などが感じられることで、 それをコメディというセッティングで、いともサラッと笑い飛ばしている様子も ミレニアル世代から見ると腹立たしく感じられるところ。 中には「キャラクター全員が白人至上主義者でも驚かない」と考えるミレニアル世代も居るのだった。




こうした時代の変化と意識のギャップついての言い訳として、これまでまかり通ってきたのが「この時代はそうだった」というもの。 しかしながら、現在の#MeToo ムーブメントがここまで盛り上がったのは、その言い訳を認めなくなっため。 すなわち、今までの「以前はそれが当たり前だった」という開き直りが通用しなくなり、 「かつて そういう意識を持っていた自分は間違っていた」と言わなければならない時代。
同様のことは エンターテイメントにも適用されていて、 この時代はそうだったからといって そこに描かれる人種差別、性差別、ゲイ差別などを そのまま容認するかのように見ている時代ではなくなっているのだった。

ここで私が危惧するのが、日本人が英語を学ぶのに「フレンズ」が適切だと考えている人が多いという事実。
エンターテイメントというのは特定の意識を植え付けるために利用されるだけあって、 観ていれば英語だけを学ぶのではなく、その態度や思想までもが身についてしまうもの。 そうなってしまったら、せっかく英語を身に着けたところで レイシスト、セクシスト等と思われる発言をするようになってしまっても不思議ではないのだった。
かつてであれば、「英語が話せないから仕方ない」、「国のカルチャーが違うから仕方ない」 と言い訳が出来たり、許されていたことでも、現在のポリティカリー・コレクトのスタンダードが高いミレニアル世代には 通用しないのは容易に想像がつくところ。 特にソーシャル・メディアが普及してからというもの、アメリカだけでなく、全世界的に人々の意識が大きく変わってきたので、 もはや「セックス・アンド・ザ・シティ」等も含め、10年以上前のエンターテイメントで英語を学ぶというのは、時代錯誤を学ぶことを意味するのだった。

2018年には、映画「プリティウーマン」や「マイフェア・レディ」 といったクラシックがブロードウェイでミュージカル化されることになっているけれど、 これらにしても古い時代の女性観をアップデイトして、台詞や設定を書き換えていることがレポートされている状況。 したがってこうした社会の変化を認識して、 そのセンシティビティを心得ることは、語学を学ぶ以前に必要なことだと思うのだった。


執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。 丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。

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