Aug Week 5 2017
★ "I Hate My Dark Side"
"自分の醜悪さにウンザリしたり、恐ろしくなることがあります"



秋山曜子さま、
このコーナーと秋山さんの大ファンで、いつも愛読しています。 私も迷った挙句、秋山さんにご相談したいことがあってメールをすることにしました。 他の方のご相談でお忙しいかもしれませんが、よろしくお願いします。

私の交友関係は、もっぱらある女性のグループが中心になっています。 皆で集まる時には 表面的には楽しく、仲良くやっているのですが、3人くらいでお茶をしたり、食事に出かけると 必ず別のメンバーの悪口が出てきます。 その内容は、皆で話している時にメンバーに気に入らないことを言われたり、指摘されたり、事実と違う噂を流されて頭に来た人が それを言った人の悪口や、その人の秘密をばらすようなものが多くて、 皆で話している時は受け流しているよう振る舞っている人でも実は頭に来て、それを執念深く根に持っているのが分かります。

最初は私はそれに加わらないように心掛けていましたが、あるメンバーが言っていた私の悪口を聞かされて、 それが明らかにデマだったので頭に来て、それを言った人の悪口を言い返してしてしまい、後から罪悪感が押し寄せてきました。 そのグループの中で悪口の原因になるのは、持ち物のことや、夫の収入の自慢話、容姿など下らないことが多くて、 冷静な時には考えるとウンザリします。 しかし一度自分が巻き込まれると、陰であらぬ噂を立てた人に腹を立てて、その人を馬鹿にするようなことを言ってしまう自分に気付きますし、 自分がグループの中で嫌いな人について別のメンバーが悪口を言っているのを聞くと、安心したり、気分が良くなったりもします。 3〜4人くらいで集まると、誰かの悪口で盛り上がってしまうことが多いのですが、 そういう時は 誰もが 悪口の対象がさらに悪い人間に思えるように脚色して話をします。 私はそれを知りながらも話の内容を正したことは無いですし、自分が受けた嫌な思いを話す時には、 私自身も実際より話が大きくなってしまうのを自覚していて、つくづく自分が醜悪で陰湿な人間になってきているような気持ちを味わいます。

気に入らないことを言われると頭に来るのは誰もが一緒だと思いますが、 私は以前より 応戦して意地悪なことを言うようになってきてしまい、後でそれが私の悪口になるのが分かっていても、悔しい気持ちや不満が止められません。 我慢して何も言わないでいると、時間が経ってもそのことが頭を離れなくて、何日も腹を立てて過ごすことも珍しくなくなっています。 そんな時は 知らず知らずのうちに「次に会った時に こう言い返そう」と考えるようになっています。

先日、そのグループには属していない友達の誘いで、心を豊かにするクラスのようなものに出かけましたところ、 まるで私やグループのメンバーのことを言っているかのように「人が言うこと気にして腹を立てたり、悩んだりしてはいけない」、 「人を妬む気持ちは恥ずかしいこと」、「人が悪口を言っていても、自分は加わってはいけない」」というようなことを言われ本当にその通りだと思いました。 そして「悪い邪悪な気持ちを自分の中から取り去らなければならない、心を広く豊かに保って周囲に穏やかに接するように心掛けなければならない」と 教えられて、感動する思いでした。 でも「心豊かに」を心掛けてその2日後にグループの食事に出かけたのですが、メンバーの1人の自慢話にウンザリしたり、 内心馬鹿にしている自分が分かって、自分が邪悪な心をコントロールできなくなっているのに気付いて恐ろしくなりました。

秋山さんにアドバイスをして頂きたいのは、どうやったら交友関係の影響を受けずに、 ネガティブな見方やジェラシーなども全て取り去って心豊かに過ごせるのかということです。 あまり友達がいないので、そのグループと全く付き合わないのは無理ですが、 自分がどんどん嫉妬深くて、気に入らない事が許せない人間になっていくようで恐ろしくなっています。
何かアドバイスをしていただけないでしょうか。 よろしくお願いします。

- N -





私もかつてNさんのように、自分の中の邪悪な部分や、ネガティブな部分を払拭して、ポジティブかつピュアで、常に心を広くもって、 周囲に惑わされずに生きたい と思った時期がありましたので、お気持ちは手に取るように分かります。 Nさんのように真面目で、気を遣って生きていらっしゃる方ほど、自分のネガティブさに対する罪悪感や嫌悪感が強いものなので、 ご自分の心の動きや言動に反省したり、落ち込んでしまう様子も納得できるものです。

私自身の経験と信条をお話させて頂くと、私の場合、自分にネガティブで邪悪な部分があるのは人間である限りは当然と割り切ってしまい、 ピュアでポジティブ一色の人間になる努力を止めてから、心豊かに生きられるようになりました。 また時にネガティブな考えや感情を抱くことはあっても、それをやっている自分自身に対しては常にポジティブに居られるようになりました。
人間なのですから 悪口を言われて腹を立てたり、悔しい思いをするのは当然であることはNさんも自覚されている通りですが、 それらは悪いことばかりではないのです。

そもそも 酷いことを言われたり、馬鹿にされたりして悔しいと思って反発する心が無かったら、私の会社はとっくに潰れていたと思います。 それほど一時は 私の会社について馬鹿にしたような発言をする人を「見返したい」という気持ちがモチベーションになって、朝から晩まで働いていた時期がありました。
私はワークアウトのクラスを取るのが趣味ですが、そんなクラスでも どう考えても運動神経が良いと思えない人が キツいトレーニングをこなしているのを見ると、「この人に負ける訳にはいかない!」という気持ちから それ以上頑張ろうと思う訳ですが、 それとて 見方を変えれば 相手をルックスで判断して、勝手に競争心を抱いている訳ですから、元を正せば決して褒められたものではありません。
ですがこれらに限らず 腹を立てたり、悔しがったり、ジェラシーを抱くというのは、驚くほど向上心に繋がるもので、 それは往々にしてポジティブなモチベーションを遥かに上回るパワーを持っているのです。
また人を疑うことは一般的には好ましくない行為と思われがちですが、疑いによって起こるべき災難から自分を守れるケースは非常に多いのです。 人のウソが見抜けるのも 相手の話を鵜呑みにせずに、疑ってかかるからこそ可能になりますので、事実を突き止めるために必要なのが疑いというネガティブな行為です。
そうかと思えば人を大笑いさせるシニカルなジョークは、通常ネガティブな視点から生まれてくるものであったりもします。
さらに、周囲が自分について言うことを気にしたり、心配したり、腹を立てるというリアクションにしても、 ある程度は周囲が言うことに耳を傾けて、自分や自分の言動に対する周囲のリアクションや、人の心の動きを把握して、時にそれに対応する努力や何等かの手立てを講じなければ、 社会人として生きて行くことは出来ません。 誰から何を言われても動じず、気にしないでマイペースに生きるというのは、 心が広く、穏やかのように受け取られますが、実際にはそれは自分を社会から隔離する行為であって、社会性の乏しさを意味するケースも非常に多いのです。

ですから、一般に言われる人間の邪悪さやネガティブさというのは、決して人間に悪くのみ働くものではありません。 逆に心の広さや優しさ、包容力、信頼、忠誠心、愛情、友情などは、人間の乾いた心を潤してくれたり、 心の安定や幸福感をもたらしてくれる反面、周囲に利用されたり、見下される原因になりますし、人間の甘さや弱さを肯定する習慣がついてしまうリスクやデメリットをはらんでいます。 安定した状況や環境が続けば人間は怠惰で臆病になったり、スリルの無さに退屈しますので、ポジティブな要素に溢れた状態は ほどなくネガティブに転じます。

同様のことは人間の腸内に100兆存在すると言われるバクテリアでも起こっていて、 世の中一般で知られるように 腸内には悪玉バクテリアと善玉のバクテリアが存在します。 身体の病気や精神的ストレス等の原因となるのが悪玉バクテリア、食べ物の消化吸収、細胞の生まれ変わりや 身体の組成を助けるのが善玉バクテリアとされていますが、 善玉バクテリアを意図的に増やし、徹底的に悪玉バクテリアを退治してしまうと、 消化効率が上がるかと思いきや、精神が錯乱して免疫力が低下するのに加えて、防衛本能が著しく鈍るために 危険を省みない行為にでたり、狂暴になるケースもある というのがモルモットを使った実験で明らかになっています。
免疫力が低下するのは、外から入ってきた悪玉バクテリアを それまで退治してくれていた悪玉バクテリアがなくなってしまったために起こることで、 自然界でも害虫が別の害虫除去に役立つという生態系のバランスが大切であるのと同様、 人間の精神や心理においても善悪、ネガティブ&ポジティブ、陰陽、楽観&悲観、静&動 という異なる要素がバランスを保って共存していることが 「まともに機能している状態」と見なされるのです。 ですから人間性から ネガティブな悪玉要素を全部排除したところで、良い人間になれないどころか、 逆に 深みや面白味の無い、退屈で、真面目なだけで きちんとし過ぎた堅苦しい人間になるだけなのです。

そもそも人間というのは善玉に価値や評価を見出しながらも、悪玉に惹かれる生き物です。 映画「スター・ウォーズ」で悪役のダースベーダーが人気キャラクターであるのも、その強さや存在感、他に無いユニークさ、 悪玉の特権であるルールや道徳を受け付けない傲慢さや、その爽快感がアピールするためです。 それと同時に悪玉が平穏な生活にもたらすトラブルや物議、パニックやエキサイトメント、怒り、反発などは、 善玉が決してもたらすことが出来ない 激しいエモーションを呼び起こすもので、 そのことは2016年のアメリカの大統領選挙の結果にも表れていると思います。
また人間は愛情を抱いている相手に対しても嫉妬や、それが原因の怒りを覚えますし、 正しいことをしている人であっても、見た目や態度が気に入らないという不当な理由で冷遇するなど、 本来ポジティブな感情や姿勢を保つべきところに、悪感情を介入させたりもします。
間違っていると思う道をあえて選ぶこともあれば、自分を守るために人を欺くなど、 刹那的な欲望や安泰のためにモラルや正義に反することもします。 人間が2人寄れば そこにパワー・ストラグル(力関係を巡るやり取り)が生じますし、3人になればそれが派閥争いになります。
でもそれが人間というものであることは 歴史でも立証されていますし、自分の生きてきた人生を振り返っても納得が出来ることだと思います。 Nさんが今お友達のグループと繰り広げている噂話や、悪口、根回しなどは、小学生の時にも年齢に応じたレベルで行っていたはずの事なのです。

ですから人間から邪悪さやネガティブさを取り去ることなど不可能であることを悟って、 人間である限りはそんな部分を持っているのが当たり前だと割り切ってしまう方が、人生は楽に生きられますし、自分を責める必要もなくなります。
邪悪さやネガティブさは排除するよりも ジェラシーや競争心を向上心に変えて、悔しさや腹立たしさを自分を奮い立たせるエネルギーに転換して、 不安や心配を勤勉の糧にして、怒りを情熱に替えて生きる方が、遥かに人間らしく、効率の良い人生が過ごせるというのが私の考えです。 ネガティブとポジティブは背中合わせなのですから、ネガティブを抱かなければポジティブも生まれてこないのです。
この考えは見方を変えれば、自分の全てを愛するという自己愛でもあります。 完璧な人間などいないからこそ、不完全さも含めた自分の全てを愛するべきで、それを実践すればコンプレックスが軽減されて自分への自信も高まります。 すなわちネガティブの存在を肯定することにより、ポジティブ要素を高めることが出来るというある種のパラドックスです。
今のNさんのお考えから180度の切り替えが必要ですが、心豊かに過ごすための近道と思って 是非トライして頂きたいと思います。

Yoko Akiyama


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執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。 丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。

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